大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和55年(オ)948号 判決

上告人

前田圭一朗

上告人

前田圭二朗

上告人兼右圭一朗、圭二朗法定代理人親権者

前田圭

上告人兼右圭一朗、圭二朗法定代理人親権者

前田千鶴子

右四名訴訟代理人

三代英昭

岡田基志

被上告人

国家公務員共済組合連合会

右代表者理事長

大田満男

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人三代英昭、同岡田基志の上告理由について

原審が認定した事実の要旨は、(1) 上告人圭一朗、同圭二朗が出生した昭和四四年四月以前においても、未熟児網膜症(以下「本症」という。)の先駆的研究家からの本症の早期発見及び治療法についての研究が発表されたことがあつたが、本邦において未熟児保育が進歩したのは、欧米において多発していた本症が酸素投与を制限することによつて影をひそめた後のことであつたので、医療界では未熟児の酸素療法にあたりその濃度さえ制限すれば本症発生の危険はないとの知見が一般的であつた、(2) 本症の早期発見の方法である眼底検査は、その対象が未熟児であるため特殊な技術の習得を要する等その実施には人的物的な整備期間を心要とし、右上告人ら出生の当時は、本症を早期に発見してこれに有効な治療方法を施すことを目的とする眼底検査の実施は、一流の診療機関においても期待しうべくもなかつた、(3) また、かねてから提唱されていた薬物療法はその後顧みられなくなつており、右の当時は、本症の治療法として発表された光凝固法も未だ追試早々の段階にあつて、一般の臨床医家の間では勿論、眼科学界においても本症に対する有効な治療法であると認識されたものはなかつた、というのであり、右事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして肯認することができる。

思うに、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるから、前記事実関係のもとにおいて、被上告人の経営する総合病院新小倉病院の小児科医である渡辺仁夫医師が、上告人圭一朗らの入院中及びその第一回健康相談時において、眼底検査の必要性を認識せず、転医の指示等を含む格別の措置をとらなかつたこと及び被上告人が産科、小児科と眼科の協同診療体制の指示等をしなかつたことに所論の注意義務の違反はなく、被上告人の債務不履行責任は認められないとした原審の判断は正当であつて、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の認定しない事実を前提とし、又は独自の見解に立つて原判決を論難するものであつて、いずれも採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(寺田治郎 横井大三 伊藤正己 木戸口久治)

上告代理人三代英昭、同岡田基志の上告理由

第一、原判決は審理不尽の結果、理由不備または理由齟齬の違法がある。

一、原審は、

(一) 上告人らと被上告人との間に、昭和四四年四月五日、被上告人において、医学の知識及び技術を駆使して、未熟児である上告人圭一朗、同圭二朗に発生することがあるべき病的症状、疾患を適確に予測或は診断し、その病状に最も適した治療行為を行なうことを内容とする診療契約が成立したこと。

(二) 医療水準は、問題とされる医療行為のなされた時期、なされた場所、診療機関の種類などを考慮して判断すべきであること。

(三) 医師は、その職務の重要性からして、日々刻々進歩していく医学の業績を消化吸収するための研鑽を日常から積むことを要求されること。

(四) 上告人圭一朗、同圭二朗の主治医であつた渡辺医師は、未熟児網膜症という疾病があり、未熟児に対する酸素療法に関して発生するものであることを知つていたが、酸素療法を行うに当り、酸素濃度を四〇パーセント以下に制限すれば本症発生の慮れはないとの知見しか有していなかつたこと。

(五) 渡辺医師は、日頃から、医学雑誌など本症関係の記事を注意して読んだことはなく、眼科関係の雑誌など一度も見たことはないこと。

(六) そのため、渡辺医師は、本症の早期発見のため未熟児の定期的眼底検査を行う必要性のあることなど全く知らなかつたこと。

(七) 渡辺医師は、昭和四四年七月三日、上告人千鶴子から、未だ上告人圭一朗らが光に対する反応を示さない旨の訴を受けた際、格別の措置をとらなかつたこと。

(八) 渡辺医師は、入院保育中はもとより、昭和四四年八月七日に両親からの訴を聞いて初めて眼科医を紹介するまでの間、上告人圭一郎らの眼底検査を行なわなかつたこと。

(九) 現在、未熟児網膜症の治療上有効なものとされている光凝固法は永田医師らによつて、昭和四三年四月に二症例、同四五年五月に四症例発表されたに過ぎなかつたこと。

(一〇) 未熟児網膜症について、かねてから提唱されていた副腎皮質ホルモン剤やACTH等の薬物療法は、本症の有効な治療法として光凝固法等が開発されたため、現在は殆ど顧みられなくなつたが、その効果が完全に否定されたわけではないこと。

以上の事実を認定したうえで、「本件当時、一般の臨床医家の間では勿論、眼科学会においても、本症に対する有効な治療方法であると確実に認識されたものはなく、本症の治療を目的とする定期的眼底検査は、本症研究の先駆的病院を除いて、未だ一流の診療機関においても実施されるまでには至つてなかつたのであるから、渡辺医師が」上告人圭一朗らに対し、眼底検査を実施せず、本症の発症を看過し、本症に何らの治療も施さなかつたとしても、また上告人らの眼に対する訴えに対し、何らの措置もとらなかつた点についても非難できないと結論する。

二、しかしながら、原判決認定のような一般的医療水準のもとにおいて、前記渡辺医師が上告人圭一朗、同圭二朗両名につき、未熟児網膜症の発症に思いを至さず、全く何らの措置をとらなかつたことを認定しながら、なお医師として非難するに当らないとするのは、診療契約の解釈を誤つたものといわざるを得ないところである。

三、診療契約の内容は、患者にとつては、医師による診療行為保健指導をうけることであるが、医師は右具体的診療をなすにあたつては、自ら直接施術、投薬等を行う外、場合によつては、患者を転医せしめ、或は他の医師又は病院等を紹介し、更には疾病の性質、今後の見込などを説明して、患者自身又はその保護者が適切な対応ができるよう指導することも右診療の内容となつているというべきであるから、被上告人の債務不履行責任を否定するにあたつては、上告人圭一朗、同圭二朗の本症発生当時、担当渡辺医師が右上告人両児の失明防止に必要なる右診療行為のすべてを行なつても、なお、右上告人らの失明を防止し得なかつたことを明らかにすべきであるのに、原判決はこの点については、本症に対する小児科医である渡辺医師のとるべき措置として期待し得べきものは、眼底検査の必要性の認識とこれにもとづく措置であるが、この認識の不存在を非難できないと結論する。

しかしながら、

(一) 渡辺医師は、未熟児保育器による保育を行う小児科担当医として、昭和四四年四月当時、未熟児網膜症に関する一般的知識を知得しておくべきであつた。

未熟児に対し、酸素供給による保育を実施するに際しては、後水晶体線維増殖症が発生し、未熟児に対し視力障害が生ずる虞があること及びこれの発見は眼底検査によることは、昭和三〇年頃以降本件発生の昭和四四年四月頃までの間、眼科誌はもちろん小児科誌等にも相当回数発表されていたのであるから、いやしくも保育器による未熟児に対する酸素投与を実施する病院に勤務する小児科医師としては前記程度の知識は当然知得しておくべきである。

若し、渡辺医師に、右の程度の知識があつたならば、おそくとも昭和四四年七月三日、上告人千鶴子から未だ前記両児が光に対する反応を示さない旨の訴えを受けた際、未熟児網膜症の存在の説明、更には眼科医による診療の必要についての指示をなし得たはずであるし、そうすれば上告人らは右説明にもとづいて、更に眼科の診療をうける等前記両児の失明防止のための可能なるすべての手段をとり得たはずであり、その後上告人圭一朗らの失明という結果が生じたとしても、これは被上告人らの責任を問うことはできないというべきであるが、渡辺医師は右の際、何らの説明等もしなかつたのであるから、明らかに、診療上の注意義務懈怠にもとづく不作為がある。

(二) 原審判決は、我が国でも一流と目して差支えない診療機関が、いわゆる定期的眼底検査の実施に着手したのは概ね昭和四五年以降であることをもつて、渡辺医師が昭和四四年四月当時眼底検査の実施の必要性を知らなかつたとしても非難できないとするが、定期的な眼定検査の実施をしている病院がなかつたから、渡辺医師に前記事情のもとでも上告人圭一朗らに眼科医による診療の必要性の認識がなかつたとしても、非難できないとするのは、知識が常にその一般的実施に先行することを忘れた理論であるといわねばならない。

四、ところで原審判決は、本件発生の昭和四四年四月乃至七月頃において、未熟児網膜症の治療法がなかつたかのような説示をするが、これは明らかに事実の認定を誤つている。

(一) 薬物療法については、昭和三九年二月、弘前大学松本和夫らが「副賢皮質ホルモン剤のプレドニン、蛋白同化ホルモン剤のジュラボリン及びATPを併用して治療を試み、良好の結果を得た」と「臨眼」に報告し、昭和四一年頃以降数次に亘つて、国立小児病院眼科医長植村恭夫はステロイド剤投与が効果がある旨「臨眼」等眼科雑誌に発表しているし、これらの薬物療法の効果については、現在本症の治療法として略光凝固法が確定するに至つたため疑問視する向きもあるが、全くその効果が否定されたわけでないことは、原審判決も認定しているところである。

(二) 次に、光凝固法については、永田医師が昭和四三年四月臨眼において、昭和四二年中に二例に対し、これを施術した結果有力な治療手段となる可能性があると発表し、そめ後の追加症例の発表などを経て、今日においては、右略光凝固法が有効な治療法であるとされている。

(三) 以上により、本件発生当時、その治療法として薬物療法・光凝固法が存在したことが明らかであり、これらの治療法が特定の病院でしか施行されていなかつたとしても、上告人らにおいて、渡辺医師の説明により本症の結果が両眼の失明という重大な結果を招来するという認識を得ていたとすれば、あらゆる手段をもつて検査治療を実施する診療機関を探求して、その治療をうけたであろうことは当然である。

五、原審判決は、未熟児網膜症の有効な治療法とされる光凝固法が普及一般化したとみなされる時点(昭和四五、六年頃)に本症治療行為の注意義務基準たる医療水準が形成されたものと判断し、光凝固法施療が期待できない右時点以前には渡辺医師が何らかの措置を講じなかつたとしても被上告人の債務履行に関し、注意義務違反はないとするが、右は医師が未だ治療法が一般化していない疾病に対し、如何なる方法によつて知識を知得すべきか、自ら治療を経験していない疾病或は自己の専門外の疾病の存在を知つたとき如何なる診療行為をなすべきかの点について審理を尽さず医師が当然本症の発生を予想すべきであるのに、これに思いを至さず、何らの措置をとらなかつたことを認定しながら、当該医師に診療上の注意義務違反なしと結論した理由不備または理由齟齬の判決というべきである。

第二、原審判決は、診療契約に関する法令の解釈適用を誤り、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

一、診療契約の内容は、患者にとつては、医師による診療行為保健指導をうけることであるが、本件においては、上告人圭らが被上告人との間に締結した診療契約は、未熟児である上告人圭一朗、同圭二朗の心身の異常につき被告に診療を依頼し、被上告人において医学の知識及び技術を駆使して、未熟児である右両児に発生することがあるべき病的症状、疾患を適確に予測或は診断し、その病状に最も適した治療行為を行うことを内容とする準委任契約であることが当事者間に争いがないのである。

二、原審判決は、被上告人が、上告人圭一朗、同圭二朗両名の本症について、適切な処置をとることができず、失明という結果を生ぜしめたことにつき、非難できないとするが、その根拠としては、「本件当時、一般の臨床医家の間では勿論、眼科学会においても、本症に対する有効な治療方法であると確実に認識されたものはなく、本症の治療を目的とする定期的眼底検査は、本症研究の先駆的病院を除いて、未だ一流の診療機関においても実施されるまでには至つていなかつたのであるから」と説示する。

しかしながら、科学は日月の進歩をするものであつて、本症の治療法についても、現在有効な方法として確立されている光凝固以前にはステロイド剤等の投薬による治療法が有効といわれ、これが特定の医師等により実施されていたのでありこれらのことは、数次に亘つて専門誌等に発表されているのであるから、仮に担当医師が右事実を知得していなかつたとしても、いやしくも、所属病院に未熟児のための保育器を設備している被上告人としては、本症について右のような治療法が存在することを知つておくべきであり、また知り得たはずである。

被上告人は、全国的組織をもつ法人で、各地に大規模な病院を設置し、その経営により収益をあげているのであるから自ら所属病院に未熱児のための保育器を設備した以上、保育器による酸素投与によつて生ずる人体に対する影響及びこれの防止法等について重大な関心を有しておくべきものである。

成程、被上告人所属の病院における個々の診療行為の実施は、担当医師をしてなさしめているが、これら個々の担当医師は、本件診療契約については、いわば履行補助者に過ぎないものであるから、個々の医師のなし得ることと、被上告人のなし得ることには差異があることは当然であり、若し、被上告人において前記知識にもとづいて本症につき被上告人所属の病院としてとり得べき措置等について、所属病院に教示していたならば、本件担当の渡辺医師は本症の発症に思いを至し、上告人らに対し、本症の説明或は眼科医の紹介等をなし得たであろうし、これにより上告人圭一朗が前記ステロイド剤投与等の治療(現在においても、その治療法の有効性は全く否定されてはいない)、場合によつては光凝固法による治療をうけることができたとも考えられるのである。

三、原審判決は、本件担当の渡辺医師が「昭和四四年四月当時眼底検査の必要性を知らなかつたため、これを実施せず、その結果、本症の発生を看過し本症に何らの治療を施さなかつたとしても、これを非難することはできず、また前記のとおり同年七月三日、原告千鶴子から未だ両児が光に対する反応を示さない旨の訴えを受けた際、格別の措置をとらなかつた点についても、同様に非難することはできないというほかはない」し判示しているが、渡辺医師が右のように本件について何らの措置をとらなかつたのは、同医師が未熟児網膜症という疾病があるということは知つていたが、その機序等については全く知らない状況にあつたからであり、同医師に未熟児網膜症に関する或る程度の知識があつたならば、本件についても、もう少し他の処置を取り得たであろうと思われるのである。

四、本件のように、未熟児保育に関する債務不履行(不完全履行)の責任を問うにあたつては、債務者たる被上告人は、唯単に債務履行補助者の無過失を立証するばかりでなく、債務者自身の無過失をも明らかにしない限り、上告人に生じた損害賠償の責任は免れないというべきところ、被上告人は、病院を設置し、且、未熟児保育器による酸素投与を実施しているものとして、未熟児保育に関して発症することがあるべき未熟児網膜症についての知識をかねて発表されている医学誌等により知得すべき義務並びにこの知識にもとづき、その所属する病院、医師等に対し、当該病院、医師として未熟児保育に関して注意すべき点及び未熟児網膜症発症のおそれある未熟児につき対処する方法等について教示乃至指導をなすべき義務、更には必要に応じて各科の協同診療の態勢を確立する等の義務があるのに、原審判決はこの点を全く看過して被上告人がこれらの管理義務を怠つていることが明らかであるに拘らず、履行補助者である渡辺医師の無過失即被上告人の無過失と即断して、被上告人の債務履行について発生した上告人圭一朗らの損害につき、被上告人の責任を否定したのは、法令の解釈適用を誤つたものというべきであり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである。

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